なんてね

芸大卒。何も表現していない。

改札を通るときの顔

最寄駅は乗降者も多くなく、ホームから長いエスカレーターを降りるとすぐに改札が3つだけある。エスカレーターに乗っていると、誰かの帰りを待つ改札の向こう側の人たちと、一瞬だけ目が合う。

顔をほころばせたおばあさんが一人、こちらを見ていた。自分の子どもか、孫を迎えるような表情だ。視線は私の後ろに向けられていた。改札を出たとき、私は振り向いてその視線の先の人物を探した。どんな人だろうと気になったのだけど、おばあさんの優しい笑顔に応える人はなく、みな一様にベルトコンベアよろしくエスカレーターで運ばれていた。

もう一度おばあさんを見ると、その目は確かに誰かを追っている。分かるなあと思った。

大学時代まで、私もよく親に駅まで迎えに来てもらっていた。人混みの向こうに親の姿を見つけると、大抵相手もこちらを見ていて目が合う。母親なら鼻の頭に皺を作って笑い、父親なら眉毛と片手を少しあげた。

私は小走りに駆け寄っていけるような可愛らしい人間ではないし、なんなら両親に対して無愛想の極みなので、何も反応せずただ目を逸らしていた。改札を抜けておかえりと言われるまで、どんな表情でいるのが正解なのだろう。とても気まずい。おそらくあのおばあさんに迎えられる人も気まずかったのだと思う。更にICカードの残高が足りなくて改札で引っかかると、ものすごく恥ずかしい。

改札を抜けた私の後ろで、「チャージしてください」と鳴るのが聞こえた。

 

よく考えるのだけど、死に際に見る夢は三途の川ではなくて、生まれ育った地元の駅の改札を通る夢だと思う。

改札の向こうで両親がにこにこしながら待っていて、私は相変わらずどんな顔をしたらいいか分からずにしばらく目をそらす。あるいは最期くらいは正解の表情が分かっているかもしれない。

ICカードをかざして、通れれば無事御臨終。改札で引っかかったら現世に戻される。

すごく近代的な夢だし、もし私が死ぬ時期があと50年くらい先だとしたら、かえって中途半端に古い光景になるかもしれないけど、なんとなく自分の十代の記憶に近い夢を見るような気がする。

どんな顔で改札を抜けたらいいか、死ぬまでには分かっていたいな。