なんてね

芸大卒。何も表現していない。

隣の家と自分の住むアパートのこと

私の住むボロアパートの隣に、廃墟が出来ようとしている。一年半前に入居したとき、隣の建物には老夫婦が住んでいた。二階建ての一軒家で、こちらのアパートは裏口に回ってから階段を上るので、通路を通るときによくその老夫婦の部屋に目を向けた。窓には常に葦簀が下がっていたのでよくは見えなかったが、4畳半くらいの和室に、ちゃぶ台と座布団と箪笥とテレビ、相当歳を召した老夫婦が佇んでいて、時々ひどく咳き込むのが聞こえた。

家の正面は引き違いのガラス戸で、庭とも呼べないような幅30センチくらいの土の部分に、いくつか無理やり植物が植えられていた。背丈ほどまで伸びた濃い緑色の葉は、ブラインドの役割をして、常に入り口の大部分を覆っていた。

緑は半年ほど前に急に伐採された。歪んだ枠に、ガラスドアが4枚。昔は店でも営んでいたのかもしれなかった。高度経済成長の頃、丘の上に団地が建ち並び、一帯はかなり賑わったそうだ。向かいの家も同じような外観でクリーニング屋をやっていて、私の住むアパートの1階も、随分長いこと定食屋であるようだった。

休日の夕方、買い物から帰ってきた時に隣の建物に入っていく女性の後ろ姿を見た。小綺麗な服装で40代か50代くらいだ。すぐに、この家に住む老夫婦の娘だろうと察しがついた。一瞬見えた家の中は、ダンボールが積み上がっていた。もうすぐ引っ越すのだなと確信した。

いつ引っ越すのか、挨拶もしたことも目も合わせたこともない老夫婦のことが気になった。実家を離れて同棲をするとき、他のアパートの住人が全員男性と知って両親は顔を曇らせたが、隣の家が老人ならいいんじゃないの?とあまりあてにならない安心材料を見つけていた。守られているという気はしなかったものの、なんだか気になったのは両親の言葉があったからだろう。

明確な引越し日は分からなかった。住んでるときから電気が消えている日は多かったし、葦簀も取り外されて久しかった。そこから何度目かの休日、アパートを出るときに業者の人らしい男性二人が、老夫婦の建物を見上げていた。

「取り壊すか、リフォームか」聞き取れたのはそこだけだった。すでに引越しは終わっていたのだと気づいた。

結局今のところ、取り壊されずに空き家として残されている。夏中、アパートと隣の家の間に自生した朝顔が、毎朝代わる代わる花を咲かせてはしおれていった。人の住まなくなった建物は風化が早い。日当たりの悪い土から伸びた雑草は、私の住む安アパートに侵食を試み始めている。一方こちらのアパートも、入り口から三つ目の電球まで灯りが消え、蜘蛛と蝉の死骸が増えていくばかりだった。隣の家よりも早く、老化が進んでいるように思えた。

住所は東京23区。駅から徒歩五分の好立地にこのアパートはある。突き当たりに小学校があるため、きっかり朝8時に集団登校の列が通過する。近くの丘の上には有名な巨大団地があり、駅前にも都営住宅やマンションが立ち並んでいるから、人口密度はかなりのものだろう。住宅地に住むのは初めてだ。学生の頃、上京することに憧れていたけれど、単純に実家から新宿までの時間が1/3くらいになっただけで、むしろ駅前は実家のそれより寂れていた。カラオケ、ネットカフェはない。飲食店はチェーンばかり。隣町に行けば小規模な家電屋やイトーヨーカドーくらいはあるが、もっと色々見比べたいなら山手線の輪の中に入ったほうがいい。

都会の暮らしって案外こういうものなんだなあと、豆腐屋の笛の音やヒグラシの鳴き声を聞きながら思った。

ブログを書かない間に、天井裏にネズミが出た。変な音がするからネズミだろうと、安アパートを転々としてきた恋人が駆除業者を呼んだら、天井裏にはネズミのフンと、鳥の巣があったそうだ。

去年も今年も、5月くらいから風呂場の窓の外から鳥の鳴き声がうるさく、夏にはなくなっていたので、きっとツバメだろうと思っていた。天井裏から出てきたのは直径70センチの巣、ふたつ。明らかにツバメではない。そして、真ん中の階なのに、なぜ天井裏に動物園が。 結局鳥はすでに巣立っていて、ネズミは捕まらなかった。

今週、ついに部屋の中にネズミが現れた。安アパートを転々としていた割にネズミ嫌いの恋人が、震えた声で私の職場に電話してきたのが、日曜の夜。仕方なく3日ほどホテルに避難した。再度駆除業者を呼んでくまなく調べてもらったところ、玄関のシューズクローゼットの下4センチくらいの隙間から入ってきたと分かった。そこは一階の天井裏とつながっていた。ひとまずネットで塞ぐことになった。

引っ越したいと、恋人が言う。でしょうねと私は思う。私としては、家賃と設備と立地を考えると、そう簡単に動きたくない。また機会があれば詳しく書きたいけど、この物件は衝動的に契約したものだった。

引っ越すまでに、家のことや近所のことを、できるだけ書き残しておきたいと思う。