なんてね

芸大卒。何も表現していない。

おやすみ

花粉症が収まったので、眼鏡を花粉用から普段使いに戻した。乱視がまた進んだ気がする。今では右目が遠視、左目が近視、両目が乱視というどうしようもない視力なのだが、中学一年までは裸眼で2.0あった。星も夜景もくっきり見えていた。倍の光が見えるのはそれはそれで綺麗だ。昨日は金星が2つ見えた。

昇進してから二週間ほど経つ。その間まさか一度もブログを更新しないとは思わなかった。ちなみに今日は5連勤1日目で、明日締め切りの仕事のやり方が全く分からないのでぶん投げて帰ってきた。終電で帰らないのは2回目……?なるべく頭を使わないで文章を書きたい。

朝から晩までずっと仕事をしているし、仕事のことをしなかった休日は一昨日だけだった。ひさびさに現実に向き合うと、逆にストレスになる。仕事のことだけ考えてた方がマシと思うことさえある。アパートの階段下にずっとある干からびた小鳥の死骸、滞納中の電気代とガス代、汚れた浴室、出し忘れたゴミの袋、積まれただけの実用書。憂鬱で仕方ない。恋人も体調が悪くて料理すらままならないので、三食全てがコンビニ飯というのも最近はよくある。QOLが低すぎる。おまけに過去に自分がやらかしたことを思い出してさらに憂鬱になる。家庭を顧みない夫や父親と呼ばれる人たちの気持ちがなんとなくわかる。心の逃げ場が職場になりかけている。まあ多分自分のことだからそのうちすぐ仕事の方が嫌になるはずだ。

昔、というか大学卒業くらいまで、ブログやツイッターでの一人称が「僕」だった。散々イタイと言われても辞めなかった。僕、と言っていると精神的に少し強くなれる気がしていた。それから、三十路女を忌み嫌っているので、なるべく遠い存在でいたかった。いつのまにか「私」になっていたのは、自分の中で統率が取れるようになったのと、三十路女になることに諦めを感じ始めたからだと思う。

ただまあ、こんなに憂鬱なのは、まだ何か諦めきれないものがあるからなのだとも思う。どうなりたいのか自分でも全く分からない。そういうことを今考えたくないので、そろそろ寝ようと思う。おやすみ。

 

未来予想

先々のことを考えて、保険の相談に行った。嫌でも将来のことを考えなければならないのだが、考える材料がない。例えば生命保険に入るとして、月いくらの生活費が必要で、民間の保障でいくら補填するのかという問題。そもそも家計簿をつけてないので、月いくら生活費にあてているのか知らないのだった。

ストレス、持ち物、やることをなるべく減らすという、ミニマリスト的な考えに憧れた結果、何の記録も取らなくなった。

まず家計簿。二人暮らしなので、光熱費の計算とか擦り合わせをする際には必ずもう一人必要で、だいたい片方がやる気になってももう片方は乗り気でない。金を数えれば数えるほどイライラしかしない。丼勘定でも少ないながら貯金はできていた。

次にスケジュール帳。学生時代は日に3つくらい予定を入れたり、変則的なバイトのシフトを書き込んだり重宝していたけれど、社会人ともなれば仕事行って帰って寝る、休日に会う人もいないという有様なので、空白のスケジュールを見るほど悲しくなる。

あと何にしろそうだけど、家計簿やらスケジュール帳やらは書くのをサボると、サボってることに対する罪悪感で無駄にストレスが溜まる。いっそ無い方がいい。

で、このザマである。

昇進するにあたり、まずスケジュール帳を買った。高橋手帳だ。意識高いっしょ。まず数ヶ月のざっくりした計画をフリーページに書く。計画は2つ書く。ひとつはプライベート含めて人生がめちゃくちゃ上手くいったパターン。あくまでリアリティのあるものだ。決して「恋人が就職して世帯収入が増える」とかは書かない。でもう一つが想像の限りを尽くした最悪な人生だ。まあつまり、寝耳に水だの棚からぼた餅だのを除いたトライアンドエラーから自分がどう判断して進んでいくかを、絶好調の場合と絶望的な場合とで書き分ける。そうするとだいたいその範囲内に収まるので安心する。そう、ただ単に安心したいだけなのだった。

これは就活の時にもやっていた。就活しながら卒業制作も確実に仕上げなければならず、最高パターン「5月 内定が出る」最悪パターン「6月  一般職に視野を広げる プロットを完璧に仕上げる」「9月 一度就活を諦めて卒業制作の進捗を40%にする」など書いていた。計画通りにいかないことがかなりのストレスになるので、二つ計画を立てて自分を宥めたのである。

しかし人生は本当に突拍子も無いことが起こる。ゼミのみんなで昼から飲みに行った小汚い料理屋で、苦手な鳥レバーを食べたら私だけ食中毒になる。自分がヌードで出演した学内の映画作品の上映会に行ったら、進学先を教えてないはずの高校の先輩に5年ぶりに再会する(ちなみにこの先輩、3月11日の日記に出てきた、私が主な原因で学校を辞めた人だ)。元彼(すごく嫌い。向こうも)が嫌がらせで実家である喫茶店に来る。などが3日の間に起こるなんて想像しようがない。このあと1週間半、心身をやられて寝込み、病み上がりに最終面接したところで内定が出た。未来なんて予想するだけ無駄なのでは……?あれ?書いてて改めて思ったけど無駄なのでは……?

とりあえずまあ、買ったからには使うしかない。保険を契約した暁には、最悪モードのスケジュール表に「GW明け、入院」と書き込むつもりだ。

きっかけ

あとは寝るだけという午前3時に、急に思い立って衣替えと称し、大量の服を捨てた。ゴミ袋7個分、ほぼ全て恋人の方の服だ。(明日、部屋とゴミ捨て場まで何往復もしなければならないのは私だ)

とにかく季節が変わったことを実感すると、普段入らないスイッチが入ってしまう。なんかいけそうな気がするという根拠のない自信が湧きがちだ。

そんな感じだから、昇進と異動の話が出たとき、うっかり快諾してしまった。

はいかいいえの選択肢を提示されても、拒否権がないことは何となくわかっていた。とは言え即答で頷くことなかったんじゃないかとも思う。入社丸2年、店長になる。しかも来週から。さらに部下が気の強い先輩。その上店長業務の一切がわからないのに新任店長研修もなし。成績の芳しくない若手社員を責任感がありそう(イメージ)の一点で店長にしてしまう、この会社の先行きが不安だ。前からかなり不安だけど。ちなみにその店の前の店長は1つ上の先輩で、激務と心労に身体をやられ、退職。自分が同じ道を辿る可能性は充分に考えられるので、会社の心配をしている場合ではない。死ぬのか私は。

とりあえず次の人事異動のタイミングまでと期限を決めて、それまでは倒れない程度にやっていこうと思う。転職は今まで何度か考えた。踏み切れなかったのは、売りにできる実績がなかったから。それに、これといってきっかけもなかった。上司は昇進の主なメリットに年収アップを謳ってなんやかんや釣ろうとしてきたけど、物欲はないので金は間に合ってる。職歴がほしい。

3月10日の日記あたりに、きっかけがほしいとか抜かしてたけど、本当にこういうのは、何の心の準備もないままふいにやってくるらしい。

 

3月に会えなかったみなさんとは再三スケジュール調整をしてたけど、何だかもうしばらく無理そうなので無期限延期です。泣いた。

あと婚約してることすっかり忘れてた。いつ籍入れるんだ自分。

プライベートが消え去るのは覚悟の上なので、ひとまず6月末くらいまでは我慢です。きっとこのブログも更新できなくなるんでしょうけど、私のことを忘れないでくださいね。

さて、前任店長みたいに倒れて入院してもいいように、医療保険に入ろう……。

再び微睡む

更新してない間に、人に会う約束が3件も4件もダメになり落ち込むなどしていた。人に会う前に、特に肌の露出が多くなりそうなときなどは、一週間くらいかけて全身を超綺麗にするのだけど、9割完成したあたりで予定がなくなり、ひさびさに身体を持て余して泣いた。一週間かけて綺麗にしても、3日で枯れる。枯れきった頃に桜が咲いた。人生は虚しい。

しばらく情緒不安定で、それが収まった頃に体調が悪くなり、なんだか熱っぽいので体温計を買った。測ると大体いつも37.3ある。病院に行ったら何でもなかった。熱と体がだるい以外症状はなく、もしかしたら体温計がぶっ壊れてるのではと疑っている。今は体も少し元気になった。いい感じに頭がぼんやり眠ったようになってきた。

ところで、恋人がこのブログを探しているので、私の恋人を知っている人は絶対にこのブログを教えないでほしい。昨日深夜に「教えてくれないなら病んでやる!」とメンヘラらしい脅しをかけられたけど屈しなかった努力を無にしないでほしい。勝手に病んでろ。読んだところで間違いなく病む。読んでも読まなくても、病む。

ということでみなさんご協力お願いします。

頭がぼんやりしてるのでこの辺で今回は終わります。

気休めの言葉でもいい

好きなように文章を書くのは好きだけど、あまり精神衛生上良くないらしく、食欲が落ちて疲れが取れない。デフォルトがメンヘラ設定なだけある。よく大学4年まで情緒不安定ながら生きてこられたな。12日の日記を昨日書き終えて15日に投稿したことにした。

仏花を見て呼吸が止まるくらいなので、しばらく生きることも死ぬことも考えたくないっす。はい。この前広いおうちに一人で住んでいる、昔は威厳があった感じだけど今はとても儚いおじいさんのところに仕事で行ったけど、部屋で砂と埃の積もった鏡台を見つけて、帰りに車の中で泣いた。泣いてたらまた社用車をぶつけたので、事故を起こすのも時間の問題だ。

何か書いていると頭の中が整理されていくけれど、見えてなかったものが見えてくるというか、見たくなかったものに気づいてしまう。何だか目が覚めていくような感じがする。今まで通り頭をぼんやり寝かせておいた方が良かったかもしれない。

多分丸2年くらいまともに小説すら読んでないので、原稿用紙1枚書くのに1時間半くらいかかる。何が楽しくてこんなことをしてるのか意味がわからない。自分のことだけど。

部屋に靴下が5足くらい転がってるし、炊飯器の中身を黄色くしてしまう。資格の勉強を怠りすぎている。あとガス代払いそびれた。これはまずい。

 

ということでしばらく何も書かないかもしれません。多分また気の向いた時にやるんだと思います。三日坊主になるかと思ったけど、意外な方向に行ってしまったなあ。

とりあえずまだスニーカー買ってないから、買いに行こうと思う。おやすみなさい。

3月12日の日記

母校の卒業展示会とやらに行ってきた。私の通っていた大学は芸大みたいなところだったので、四年間の集大成として作品を展示したり上演したりしている。今年は、委員会で親しかった二つ下の代が卒業する年だ。

他の大学に比べて、正社員としての就職率は圧倒的に低いけれど、卒業すれば何かしら職に就く人は多い。社会人になることで創作、製作をぱったり辞めてしまう人も少なくなかった。現に私もその中の一人だった。穿った見方をしてはいけないと思いつつ、作品を見ながら、もしかしたらこれがこのひとにとっての最後の作品なのかもと考えずにはいられない。とは言え、四年間の集大成として展示されているそれらは、華々しく重みのあるものに感じられた。

同じ学科の2つ下に、元彼がいた。彼が大学1年生を終わる頃から、2年生の冬まで付き合っていた。私の生き写しのような子だった。初めて会ったときから顔が似てると周りから言われていたが、よく話してみると性格も価値観も似た部分が多かった。おまけに私の母の旧姓が彼の苗字と同じだったので、私に生き別れの弟がいないか親に真剣に聞いてみるほどだった。

はたから見ると気持ち悪いことこの上ないのは承知だけど、無邪気で子供っぽくて、本当に弟のように思っていた。感情が顔に出やすいので、言いたいことが手に取るように分かった。そんな彼とも、丸一年まともに連絡を取り合っていなかった。去年の春から、誕生日などの節目に連絡をしても素っ気ない返事ばかりだったのだ。嫌われたのかもしれない。もしかしたら偶然会えるかもしれないと淡い期待を抱きながら、その日はなにも知らせずに卒展に向かった。

全卒業生の作品が展示されているので、当然彼の作品もあるはずだった。1年生の頃から卒論と卒制の小説の構想を練って聞かされていたので、それを読むために足を運んだのだった。

彼の名前はその中になかった。

留年するような子ではないはずだ。出席はちゃんとするし、むしろ他の人より積極的に課外授業にも取り組んでいたくらいだった。学内の賞を受賞している形跡はある。つい先日だって、有名な雑誌の新人賞を獲ったと噂で聞いた。わざと卒業しなかった? でも大学院に行きたいと入学当初から希望していたから、そんなことをする理由が分からない。その日何人か友達に会ったが、彼について知っている人はいなかった。

SNSでも繋がりがなかった。色々と方法を変えてネットで検索してみたところ、有力な情報はなかったが、いくらか憶測することができた。

仲のいい後輩にラインで訊いてようやく、彼がこの1年間休学していたことが分かった。

 

ここからは私の推測が主になる。もちろん私の想像の及ばないところにも、彼の苦労はあると思う。そして、自分と似ているがゆえ、混同してしまっている部分も多々ある。

彼のことを考えて寝るまで泣いた。ずっと子どもだと思っていたけれど、いつのまにか強くなっていた。彼が休学をする少し前、とても仲の良かった友達が亡くなった。自殺だった。付き合っていた頃、その友達の話を彼の口から何度も聞いた。同じ研究室の同輩で、彼には珍しい同性の友達だったようだ。経緯も聞いた限りでしか分からないし、彼らの間でどんなやりとりがあったのかは全く見当がつかない。ただ、想像するにそれは耐え難い衝撃だっただろう。

休学している間、ずっと執筆していたのだろうか。だとしたら、その行為だけでも相当な精神力だ。さらにそれを人に評価されるまでの完成度にし、実際に新人賞を獲るのは並大抵の努力ではできない。たまに軽々と色んな賞を取れる学生は存在していたが、少なくともかつての彼はそれには当てはまらなかった。私も同じように小説を書いてきた身だから、書くことの難しさはよく分かる。辛く苦しかっただろう。書いている途中、何度も完成への不安に駆られたと思う。完成後の評価は気がかりで仕方なかったはずだ。もし賞をとることに拘りがあったとするならば尚更。それを乗り切った強さを称えたい。どうか孤独でなかったことを祈る。もし支えていた人がいるならば、私も感謝したい。

一晩中泣いた。堪らず彼に連絡をした。簡潔に、受賞おめでとう、よく頑張りましたと送った。返事はないかもしれないと覚悟していたけれど、優しい言葉が返ってきた。この一年、そっけなくてごめんなさい、と。

自分がなぜ泣いているのか、自分でも分からなかった。彼の成長が喜ばしく、同時に少し寂しかった。別れてから2年以上経っていたから、もう彼のことが手に取るようには分からないとしても当然のことだった。遠いところから、彼の幸せを願い、応援しようと思った。

卒業展示会に並んだ作品たちを思い出した。夢を持って入学し、卒業するまでに潰えてしまう人は多い。私自身も向いてないと悟ってしまった。自分を信じ抜けるあの子の強さが尊い。卒業してから私はほとんど成長していなかった。2日前に会った中学の友人達を思う。もう大人である私達は、ゆっくりとしか時間を進められない。変わらない毎日。でも確実に、生きるということを続けていく。

「みんなが一緒に幸せになれたらいいのにね」

20歳だった頃の彼の言葉を思い出す。そうだね、と私は今、心の中で返事をした。

3月11日の日記

 3月11日

きっかけ。震災は私にとってきっかけだった。7年前は高校2年生だった。死があまりにも近すぎた。

高校2年夏、近しい人を二人、自殺で失いかけた。ほぼ同時期だったが、彼らに接点はなかった。一人は部活の先輩で、詳細は今書けないけれど、原因はほぼ全て私にあったと今でも思っている。もう一人は隣の部活の後輩だった。学校で飛び降りを図る直前、私にメールをくれていたが、私はそれに気づくことができなかった。結局他の先輩が異変に気づいてとめに行ってくれた。それがなかったらと思うと今でもぞっとする。

結局二人とも、数回の自殺未遂の末、高校を辞めた。私は自分を責めた。特に先輩に関しては、自分が彼の人生を奪ったも同然だと思っていた。誰かを失うこと、死が怖かった。彼らが辛うじて生きていることが、せめてもの救いだった。

学校には行った。行かないとこの先ずっと登校しないことはなんとなく分かっていた。以前より人と話さなくなったし、授業中気分が悪くなってトイレにこもることもよくあった。特に国語の時間は、夏目漱石の「こころ」を読み解く授業ばかり、古典は文法の「自発」が「自殺」に聞こえて仕方なかったので、苦痛だった。秋から冬の間じゅう、私はずっとふさぎ込んでいた。

2011年3月11日は、ひとつ上の代の卒業式だった。 委員会の係で卒業式の受付を担当していた私は、入り口から入って来る親子の中に、いるはずのない先輩の姿を何度も見た。幻だと分かっていても、その度に息が止まった。

式が終わったあと、そう広くない部室に、4部活の仲のいい先輩と現役生メンバーで集まって別れを惜しんでいた。すっかり帰るタイミングを逃していた頃、地震が起きた。

東京は震度5強、電車は完全にとまり、私は帰宅難民となった。

学校は生徒の避難所として使えないとのことで、友だちの親の車やバスを乗り継ぎ、家に着いたのは日付を超えた頃だった。津波の被害で多くの命が奪われたと知ったのはそのときだった。

震災のあと、私は死について考えた。死ぬことは特別なことではない。誰にでも訪れるものだ。そんな当たり前のことを実感したのか、前より少し心が軽くなった。実感はうまく説明がつかなかった。ただ漠然と、死そのものは怖くないと納得した。

その後立て続けに4人ほど、遠い人が亡くなった。震災とは関係なく、自殺でもなかった。あまり話したこともなく、会ったこともない人も中にはいたけれど、死の知らせを聞いたときは心がざわついた。しかし以前ほど過敏ではなくなっていた。

幸い今日まで、近しい人を亡くしてはいない。身近な死をどれほど受け入れられるか、自分ではまだ分からないが、人は必ず死ぬということが納得できているから、前向きになれる日は少し早まると思う。自殺でない限りは。

彼らは生きていて、風の噂ではそれなりに元気でやっているようだ。

 

震災を忘れない、と毎年3月11日には色々なところで目にする。その言葉で、高校2年生の自分を思い出す。あの年に起こったこと、罪のこと、死について考えていたこと。3月11日は私にとってそれを思い出す日でもある。

「忘れない」ということが、克服や償いや自責とのバランスがとれなくて、随分長いこと悩んだ。忘れることがさらなる罪のようにも思えた。本当に忘れてないのか、昨日のように思い出せるのか、あのときあの人が何て言ったか一言一句思い出せるのか、そのときどう思ったのか。

7年経ってしまった。時間が経てば思い出せることの方が少ない。そう冷静に考えて感情を無理矢理沈めていた。大学に進学してから、あの年のことを毎日思い出すことが困難になった。社会人になってからは尚更のことだ。せめて一年に一回はしっかりと思い出そうと思う。

 

震災のことに絡めてつらつらと個人的なことばかりで申し訳ない。